元日からとんでもない地震(令和6年能登半島地震)が発生した。
私の住んでいる川崎市でも、長時間、大きな波に揺られているような状況になり、すぐに「これはやばい」と感じた。
関西人なので、かねてから「関東はよく揺れる」と思っているけど、やはり異様な時というのは動物的な本能が感じるのだろうか、、
東日本大震災が発生した時は、大阪でサービスの仕事(プリンタ修理)をしていて、異様な雰囲気を感じたのを思い出す。
あの時は携帯が不通になるし、とてつもなく不気味な時間だった。
しかし、被災された方々はそれどころではないだろう。
「大きな影響を受けなかった自分はなんなのだろうか、、」
こういう大きな災害が発生すると、いつも考えてしまう。
災害は各地で発生しているし、その規模に関わらず、大きな爪痕を残すということを想像しなければならないと感じる。
奈良県下北山村では、令和5年12月23日に国道169号で土砂崩落があり、いまだに復旧していない様子、、
169号なんて、関西に居たころはしょっちゅうドライブしていた。
10年ぐらい前かな、川上村でとんでもない土砂崩れがあり、交互通行で30分ぐらい待たされたのを覚えている。
思い返すと、交互通行は北塩谷橋でおおたき龍神湖を渡り、対岸の県道(?)を南に進んで白屋橋で169号に戻るというものだったはずだ。
その時に、対岸から土砂崩れ現場を目にして仰天した。
しかし、こんな衝撃的な出来事すら、忘れがちになっていることに気付く。
大きな災害が発生すると、それ以外の災害が忘れがちになるというのは、人として仕方のないことなのか?
自分が被災したら、とんでもなく声高に叫ぶだろうに、、
ここで書いたことは記録になるだろう。
地震はこれからも発生し続ける。地震以外にも災害は当たり前なのだ。
意識を高めよう。
早期の復旧を願う。
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