20XX年6月6日金曜日。梅雨に入る前で湿度もちょうどよく、空はやけに澄んでいた。そんな日に、高校に入学して3カ月目の美花百々子は、ちょっと難しい顔をして帰り道を歩いている。右隣には幼馴染の峰景虎が、これまた少し緊張気味の表情だ。
「どんな子やろか……」 百々子はボソッとひとりごちる。
「モモとそっくりやったらウケるな」 景虎は独り言に反応して軽口を叩いてみたが、目が笑っていない。
昨日、百々子は父の吉信から双子の妹がいることを打ち明けられた。さらに、これから一緒に暮らすこと、そして初顔合わせが明日だということを聞かされ、まさに「鳩が豆鉄砲を食ったよう」を初めて体験したのだった。そしてその「明日」である今日、驚きが冷める間もなく早々にご対面なのだから、緊張があってもおかしくはないだろう。とはいえ百々子は、心が浮つくのを感じながらも、頭は冷えていた。学校では、身近な友人への説明も済ませたし、幼馴染の景虎には自分と一緒に顔合わせするように仕向けた。
(こいつとはいつも一緒におるんやし、それが自然やろ) 百々子はいかにもそうだと考えながら、心の奥では景虎がいる安心感に助けられている。
さて、ここで当作品の主人公たる百々子について触れておこう。身長は160センチで、レアな点はクォーターだというところか。本人は気にもしていないし、ほぼ忘れているが、髪の毛と瞳が琥珀色なのはその影響かもしれない。父曰く、「バカラのロックグラスに入れたウイスキー」と例えて娘の美しさを表現していたが、百々子は褒めてくれたことを嬉しく感じながらも、「よう分からんわ。濃い麦茶の方が近いやろ?」と、自身の容姿にあまり関心がなかった。服は楽なものが好みで、古着屋を営む父の影響もあり、ミリタリーやワークなど女子高生には珍しいラフなアメカジスタイルが多かった。この日は、ベージュのグルカショーツにゆったり目のシャンブレーシャツ。靴はソールだけ水色の、妙に機嫌の良さそうな白のキャンバススニーカーが板についていた。
百々子は大きくて丸い目を景虎に向けると、自分を意識させるような言葉で返した。
「そっくりやったら嬉しいやろ? どっちか分からんとかやめてや」
「モモが二人なんて煩すぎるやろ」
「は? 何言うとん」
「何が嬉しいねん。 おまえを見間違うなんてありえへんわ」
「ほんまやな?」
「モモの顔ずっと見てきたし、同じのが並んだらさすがにしんどいで」
「しんどいとか言うな……っていうか、一個ズレで返すのやめてくれへん?」
どうしてこんなリズムの会話になるのか不思議だが、景虎は話のテンポを変化させることが苦も無くできるようで、たまにこういうやり取りが起こる。いまだにわざとやっているのか、素でしているのか分からない。
(あぁ~ 軽口が全然軽く聞こえへん。ほんまこいつ、どのタイミングでぶっ込んどんねん)
それは景虎の方でも同じように感じていたが、自分のことは気付かないものだ。
百々子は景虎に「肩パン」でも食らわしてやろうかと思ったが、「そこそこおもろいぐらい」に緊張した表情だったので許してあげることにした。
「なんか変な気分やわ」 百々子は誰に言うでもなく続ける。
「そりゃそやろ」
「普通に暮らせるかな?」
「大丈夫ちゃう」
「私、そんなに人と仲良くするタイプちゃうで」
「そういう問題ちゃうやろ?」
「ん~ん……?? いやそやろ?」
「家族やで」
「せやけど……『おねいちゃ~ん』とか呼ばれてもどうしてええか……」
「おまえ、想像がギフテッド過ぎやねん。 普通はもっと手前で悩むんちゃうんかい?」
「いやそやで、この歳なって初対面の妹なんて他人やん」
「そこそこ! さっきのくだりはなんやってん」
そんな答えのない話をしているとあっという間に家に着いてしまった。見慣れた場所なのに、なんだか知らない家のように見える。躊躇しているわけではないが、二人して玄関前で固まってしまった。
「ま、モモなら上手くやるやろ」
その言葉は百々子の心をすっと軽くする。アホな会話ばかりする二人だったが、景虎は百々子に対してちょくちょくこういうポジティブなことを言う。百々子は景虎のそういう言葉や態度をいつも心地良く感じ、場合によっては背中を押してもらっていた。彼はそんなことを知らないだろうが。
「そう?」 百々子はいかにも嬉しそうに景虎に返事した。
「そうそう、大丈夫やて」
「そやな。 あんた分かってるやん! 多分エエ子やろうし、楽しむか~」
「チョロQかよ。 ほな入ろうぜ」
勝手知ったる玄関の扉を開けると、見たことのない白のスニーカーがあった。知らない靴を見ただけでドキッと心臓が跳ねる。同時に、寸分の狂いもなくきれいに揃えられた、通称「青ヒゲ」と呼ばれているスニーカー。そのつま先部分にある曲線「スマイル」が、パーフェクトシンメトリーになっていることに気付き、我が妹もとても緊張しているのだろうと、少しだけ親近感を覚えた。
「ただいま~」
「おかえり~」 百々子の声にすぐに応えたのは吉信だ。彼は玄関まで出てきた。
「おかえり、 トラも。 もうおるで菜々子ちゃん」
「菜々子ちゃんて……パパ」
「菜々子って言うんや」
景虎の言葉に百々子は名前を伝えていないことに気付いた。
「なんや、名前教えてないんか?」
「完全忘れてたわ」
「やってるね~ まぁええわ。ほらご対面」
(いやいや、どっちが「やってるね~」やねん)
吉信の妙なハイテンションに百々子は心のなかで盛大にツッコミながらも、父も初めての状況で正気を失っているのだと理解した。
吉信に促されてリビングに入ると、ソファに姿勢良く座っている女がこちらに顔を向けた。
(だ……誰?)
百々子はたまげた。生まれてからこれまで、ここまで驚いたことはない。こんな綺麗な人を見たことがなかったからだ。妹がどうかなんてすっかり頭から吹き飛び、眼の前の美しいものに目が釘付けになった。大きな丸い目はとても優しくて柔らかい印象なのに、こちらの視線を吸い込んで飲み込むとんでもない吸引力がある。この時、別世界を漂っていた百々子は気付かなかったが、菜々子の方でも驚きで目を見開き、百々子を舐め回すように見ていた。
「めっちゃ可愛い」
景虎がボソッと漏らした。その小さな声は、横にいた百々子に、音量と正反対の強烈なインパクトを与えた。
(はぁ?)
そしてそれは百々子にとって衝撃的な瞬間で、体験したことのない心地良い夢を見ているところを、乱暴な力で一気に現実に戻されたような感覚だった。
(え? こいつ何言ってんの? というか、なんちゅう顔してんねん、やば~)
百々子は景虎の恍惚とした表情にぎょっとした。恐らく、菜々子を見て自分と同じ衝撃を受けたのだろう。
(分かるよ、この子がめっちゃ綺麗やってことは)
理解はできたが、景虎が初めて見せるその表情。頬は上気し、感動が大きかったからか目が涙で潤い、輝いている。そんな姿を見ると、胸に嫌な引っ掛かりを覚え、さっきまで感じていた夢の余韻が一瞬で濁った。
「こんにちは」
百々子はそんな景虎への気持ちを素早く制御し、菜々子にあいさつをした。微かに残っていた緊張感が冷静さを保ってくれた。今、嫌な感情やマイナスの感情は必要ない。
「こんにちは」
菜々子は椅子から立ち上がって返事をした。
(大きい!)
175センチの吉信と向かい合った時ぐらいの大きさを感じる。スレンダーなのに、不自然なくらい完成された大人っぽさがあった。服装も感じが良く、タイトフィットのジーンズにゆったりした白の無地Tというシンプルなファッションは、彼女の魅力を存分に表現していた。
「大きいね」 ボソッと漏れた言葉に自分で驚く。何を言ってるんだか……
「え? あ……うん 170センチ」
戸惑っているからか、菜々子の反応はぎこちない。それでも、彼女の視線は百々子をずっと見続けている。目を離すことができないとでもいうように、強烈な眼力を持って百々子を見るそれは、初対面としては失礼だったかもしれない。ただ、百々子も菜々子も互いに衝撃を受けていたので、そんなことは気にもしなかった。
「とりあえず座って話そうや」
吉信の言葉が空気を変える。4人はダイニングテーブルに行くと、吉信と菜々子が横並びで、吉信の向かい側に景虎が、そして吉信の斜め向かいに百々子がそれぞれ席についた。
それからの話は……まぁ、お世辞にも盛り上がったとは言えない。初対面で突っ込んだことも聞けない雰囲気だったし、回答もぎこちなかった。
一方で、百々子と菜々子は互いに興味津々だった。百々子の方では、菜々子の美しさにすっかり魅せられていたので、無意識で彼女の動きや声、その他どんなことでもチェックしては、その都度心を乱された。そして菜々子は百々子を凝視し続ける。
男どもはというと、吉信はさすが大人で父親の余裕があった。浮ついた発言もあったが、それでも場を保つことを成功させていた。
景虎に関しては、菜々子に対する溢れ出さんばかりの好意がプラスに働いた。いつもは軽快な話をするくせに、この時はほとんど言葉を発さず、それでいながら眼の前で起こることに常にポジティブな反応をするから悪い雰囲気にならないのだ。百々子もそんな景虎に慣れてきて、「キモかわいい」くらいには受け入れられるようになっていた。ただ、この時の景虎の表情が、百々子の心をチクチク刺激するのは変わらない。
「おいトラ、おまえハイチューキッズのCMに出てくる、イッちゃってる男の子みたいやな」
菜々子の行動に、毎回美味しいものをじっくり味わうような反応をする景虎は、まさにCMに出てくる男の子そのものだった。
(というかパパ、そんな古い例え誰が分かんねん)
「明日はトラとことBBQするから」
吉信がそんな予定を話したところで、この場はお開きとなった。帰り際の景虎が「後ろ髪を引かれる」を体中から発していたことには、多少慣れてきていた百々子も背筋を凍らせた。だが、ある意味自分も同じように菜々子を見ていたことに気付くと、寒いことをした記憶が急に蘇って叫びたくなる、あのいたたまれない発作に襲われた。
(あぁ、自分のことは棚に上げてまう。 恥ずいこと思い出した時みたいにふるえたで) 自分自身のマイナス面に気付くと、案外心が落ち着くものだ。
それからは父娘3人になった。百々子は食事をつくろうとキッチンに向かう。
「私も手伝うよ」
菜々子が間髪入れずに着いてきて横に並んだ。この日は餃子を用意していたので、二人は一緒に餃子の餡を包んでいく。
「手際ええやん」
百々子は菜々子の手慣れた動きに感心した。さらには、してほしいことを伝えるとちゃちゃっと済ませるし、百々子の考えをどんどん理解していくように、先回りで適切な行動をしてくれる。
「あなたイイね」
百々子の言葉が心底嬉しいとでもいうように、菜々子はニコッと笑顔で返した。その反応は百々子の心をとても軽くした。
「なんて呼んだらええかな?」 百々子は菜々子に対してとても自然に問いかけていた。
「え?」
「だからあんたの呼び方」
すでに「あなた」でなくなっている。
「名前でいいよ。 というか、名前しかなくない?」
「……そりゃそうか……いや、あだ名とかさ」
「まぁ、好きにしていいよ」
「そう? ほんなら名前で呼ぶわ。 菜々子も好きに呼んでくれていいよ」
「分かった姉さん」
「なんで姉さん呼び?」
「好きに呼んでって言ったよね?」
「まぁそやけど……」
「名前で呼ぶこともあると思うよ」
「なにそれ?」
「好きに呼ぶよ」
「分かった分かった」
そんな二人の様子を、ダイニングテーブルで食事を待つ吉信が新聞を読みながら窺っていた。百々子をとても大切にしていた彼は、彼女をとんでもない状況に置いていることを心苦しく感じていたが、二人を見ながら聡明な娘たちに恵まれたと心から感謝していた。
「いつも姉さんが食事を作ってるの?」
「そやね、大体は」
「吉信さんは?」
「パパは……って吉信さん?」
「吉信さん」
「なんで名前呼びなん?」
「パパなんて呼ばれへんよ」
「そんなもん?」
「そう」
「ふ~ん。 料理は私がすること多いわ。 パパもできるけど大雑把やし、自分でした方が食べたい物食べられるやろ?」
「そうね」
「菜々子はどうしてたん?」
「私はママと一緒につくってた」
「ママ……」
「……気になる?」
「……よう分からんわ」
「そうかもね」
二人の声はとても似ていた。ともにマイルドな中音域で、菜々子は体が大きいからか百々子より少しだけトーンが低かった。ゆっくりと落ち着いた話し方はそっくりで、とても聞き取りやすい。横で聞いている吉信は、娘たちの話し声を聞いて「天使がいる」と考えていた。まさに親バカそのものだが、心がそう感じるのだから仕方がない。心地よさに酔っているからか、菜々子が「パパ」と呼べないことや、「ママの話」が耳に入っても、息苦しさを感じることはなかった。
食事ができると父娘3人は静かに食べた。餃子はいつも通りで美味しかった。
先に食べ終えた吉信が自分の洗い物を済ませると、ソファに移動して再び新聞を読み出した。百々子も菜々子も黙々と食事を続けていたが、打ち合わせでもしていたかのように、ピッタリと同じ時間に食べ終える。そして百々子が片付けに移ったときには、菜々子はシンクで洗い物を始めていた。
「もういいで。先に風呂入って休みぃや」
百々子の言葉に菜々子はちょっと驚いた表情を返す。
「まだ残ってるよ」
「あとはやっとくし」
「最後まで手伝うよ」
「エエ、エエ。 疲れてるやろ? 私かってそやし」
「……なにそれ?」
菜々子は不満を隠さずに続ける。
「私が邪魔みたいじゃん」
「別に邪魔やないで。 けど、ちょっと一人になりたい。キャパオーバーや。 これからもはっきり言うで。こんなことで気ぃ遣うん嫌やし」
「……分かった。それならあとはお願いね」
菜々子はあっさり従った。
「吉信さん、先にお風呂いただきます」
そう言って部屋を出る菜々子の後ろ姿は、肩がほんの少し落ちていた。
(なんやろあの子。まだ一緒にいたかったんかな? いや、こっちがもうゆっくりしたいわ。 それにしても……後ろ姿も綺麗やな)
百々子は片付けが終わると、ソファにいる吉信の左横に座る。二人分のアイスミルクティーをテーブルに置くと、吉信の読み終えた新聞を手に取った。吉信はパソコンを開いて作業をしている。サプライズの一日でそこそこ話すネタが揃っていたはずだが、各々自分の時間を過ごした。
だけど、違和感を覚えていたのも事実で、扉を開ける音や廊下を歩く音が妙に大きく響く。菜々子が風呂から出て自分の部屋に移動しただけなのに、百々子も吉信も、家にもう一人いるということを意識せずにはいられなかった。
「パパも先に入ってや」
百々子は吉信を風呂に入るよう促すと、読み終えた新聞を片付けて防音室に向かう。この部屋は百々子が物心付く前からあったもので、彼女のお気に入りの場所だった。
(なんでこんな部屋つくったんか聞いてへんけど、ほんま最高やわ。 この部屋だけでパパのこと好きになってまうしな。 ハハ……私ってちょろいかな)
百々子は音楽が好きだったので、時間があればこの部屋でピアノやギターを弾いたり、歌ったり、曲を大音量で流したりして楽しんでいた。考え事がある時も、ここに来るとすっきりする。
百々子はピアノの前に座ると、メトロノームをゆっくり目にセットしてハノンを弾き始めた。退屈と思われがちなハノンだが、百々子は結構気に入っていた。無心になれるし、なにか考え事や思うことがある時にぴったりだったから。
(菜々子、綺麗な子やな。 ほんまに私の妹なんか信じられへんわ。 やたらと気ぃ利くし、大人? なんか圧倒された。 うまくやっていけるかな……パパのこと名前で呼んでたし、やっぱ簡単には呼べんもんなんかな? 変な気ぃ遣うんわこっちも大変やけど、あの子にもそりゃいろいろあるわな。 それと、なんかやたらと見られてたような気がするけど……気のせいかな?)
そんなことを考えながら、メトロノームのテンポがどんどん上がっていく。
(にしてもトラのあれはなんやねん。 キモかったわ。 というかなんかムカつく。 あいつのあんな態度初めて見たし。 というか、私もなんで苛ついてんねん。考えてまう自分に腹立つわ……)
エクササイズのつもりで弾き始めたハノンは、いつの間にかとてつもないスピードになっていた。すでにメトロノームは止まっており、機械的な音の並びが爆音で鳴り響く。この時、百々子は気付いていなかったが、部屋に菜々子がいたのだ。
菜々子は最初、部屋を少し開けて覗いていたが、吉信に促されて部屋に入っていた。吉信は、音漏れが気になったのもあるが、話していた時の菜々子が明らかに百々子のことを気にしている様子だったので、彼女の背中を押したのだ。菜々子を部屋に入れてからは、姉妹が楽しく会話していることを想像しつつ、「まぁ急ぐこともない」と考えていた。吉信にとっても、まだまだ菜々子は遠かった。
百々子はロボットのように鍵盤を打ち付けながら、その思考は別世界に旅立っていたので、菜々子がいることに全く気付かなかった。菜々子の方でも、演奏を止める気もなかったし、なにより練習曲とはいえ凄まじい音の洪水に圧倒されていた。
(すごく上手だ!)
吉信が勘付いた通り、菜々子は百々子を強く意識していた。その気持ちに動かされて防音室まで来たが、まったく気付かれないままずっといるのも変なので、声も掛けずに出ていった。
なにも知らない百々子は、思考の世界から戻ってきたところで演奏を止めた。この日はピアノを楽しむというより、考えるための演奏だったが、適度な疲れが気分を変えてくれた。
その後は風呂に入り、自分の部屋に戻ると、これも日課の筋トレとストレッチをした。筋トレではムキムキにならないよう、負荷が小さい1キログラムのダンベルを使っている。
ただ、この日はいろいろあって疲れていたからか、ダンベルを片付け忘れて、ベッドの横に置いたままにしたのはまずかった。
ベッドに入るとストレスなく眠ることができるのも百々子の才能だろう。彼女は、もし見ている人が居るとすれば驚き、そして羨ましくなる早さで規則的な寝息を立て始めた。話は少し変わるが、百々子は眠る時にカーテンを開ける。朝日を浴びて目を覚ますと体の調子が良かったから。それと月の光も好きだった。眩しく感じることもあるが、その光はどこか神秘的で心を落ち着かせてくれる。
(暑いな~)
百々子はいつもと違う暑さを感じた。寝覚めのまだ意識がはっきりしない状態なので、この違和感がなんなのか分からない。
(う~ん。 暑い……なにこれ? なんか重いし)
気温による暑さではない。特に不快な感じではなかったが、なにかに包まれているような感覚がある。
(う~ん。 え、金縛り?)
金縛りという言葉が浮かぶと、恐怖と一緒に頭がクリアになってきた。以前、吉信から「金縛りの時に目を開けたら黒い影が体を押さえていた」ということを聞かされ、それからずっと怖がっていたのだ。
(え、嫌や。 あれ? 動くやん)
恐怖から逃れようと力を入れると、体が動くことに気付く。だが、どうもなにかに掴まれているようで自由が利かない。
(なんか暗いな。朝やったらもっと明るいのに)
百々子が恐る恐る目を開けると、真っ暗でなにも見えない。これにはいよいよ驚いた。夜の暗さとは明らかに違う。意識がはっきりしてくると、顔と後頭部がなにかに挟まれているような気がする。柔らかい感触で苦しくはなかったが、初めての経験でパニックになった。
「うぎゃあ~ うわっ! うわっ!」
そう言って見えないなにかを力強く払うと、拘束しているものがすぐに外れた。だけど、興奮でそのことに気付かず暴れたので、そのままベッドから豪快に落ちてしまった。
ドスン
「ふおおっ~」
百々子は凄まじい激痛に腰を仰け反らせ、おしりの左側を手で押さえた。片付け忘れたダンベルが無防備のおしりに強烈にめり込んだのだ。
百々子はあまりの痛さに恐怖の感情が一気に引いた。痛みを堪えながらベッドの方を見ると、菜々子が狼狽えた表情でこちらを見ていた。
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