第3話「似ている」

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 午前10時。百々子がリビングに顔を出す。休日も平日と同じ時間に起きるのに、この日はちょっと遅くなった。

「おはよう」

「……うん……おはよう」

 珍しく吉信が先に声を掛けた。百々子は上の空だ。ボケっとキッチンに向かう一方で、身だしなみはちゃんと整えていた。

「おはようございます」

「おはよう」

 少し遅れて菜々子が入ってきた。百々子とは対照的に表情はしっかりしている。まだ客のようなよそよそしさは残っていたが、それでも昨日よりずっと自然だ。

 菜々子はすぐに百々子を手伝う。

「うちはご飯ばっかやけど大丈夫?」

「大丈夫よ。ご飯好きだし」

 食事は静かだった。食べ終わってしばらくすると吉信が指示を出す。

「モモ、菜々子ちゃんと一緒に買い出し頼むわ」

「分かった。それじゃ先に鈴(すず)さんとこ行くわ」

 鈴は景虎の母親、鈴鹿(すずか)のことだ。百々子は小さなころから可愛がってもらい、良い関係を築いている。

「昨日あいさつはしたで」

「そうなんや」

「龍(りょう)くんはまだやし、しといて」

「OK」

 片付けを終えると、百々子は菜々子と一緒に隣に向かう。

「暑いな~」

 家を出てすぐ、百々子はボソッとつぶやいた。昨日と同じく快晴だが、今日は初夏の日差しだ。

「暑いね。日本の夏はすごく暑くなるんでしょ?」

「そうやね、真夏は舐(な)めてたら危険やで」

 百々子は菜々子に微笑(ほほえ)む。菜々子は、太陽に照らされて目を細める百々子を楽しそうに眺めている。

「バーベキューする時は、だいたい女組が料理で、男は火とか椅子とかの準備」

「よくしてるの?」

「春と秋は多いかな? ちょくちょくやってるで」

「そう、楽しそうね」

 百々子は景虎の家まで来ると、まるでその家の住人のようにベルも鳴らさずにドアを開けた。

「おはようございま~す」

 ドタドタ……百々子の声に反応して奥から慌ただしい音が聞こえてくると、目を輝かせた景虎が現れた。まるで飼い主が帰ってきた時の従順なワンちゃんのようだ。

「おはようナナちゃん」

 いつもなら鈴鹿が出てくるところなのに、景虎はずっとスタンバっていたようだ。

「それとモモも」

「は?」

 なかなか癇(かん)に障(さわ)る対応だ。

(なんなんこいつ。しかもバーベキューやのに白の長袖オックスシャツて……めっちゃ手入れしてるし、なに見た目気にしとんねん!)

 この日の景虎の服装は、以前、百々子が教えた格好そのものだった。

* * *

 ある日の帰り道。

「なぁモモ、印象がいい服装ってどんなん?」

「急になに?」

「ちょっと知っときたいやろ?」

「ふ~ん。シンプルなんがええんちゃう。ダボッとしたやつよりもジャストサイズで」

「ふ~ん。モモのオススメはどんな感じなん?」

「そやなぁ、無地Tとか、白のオックスフォードシャツにジーンズとかかな。あと、足元は気にするかな。靴は白のローテクスニーカーとか、ローファーもええんちゃう」

 景虎は真面目な顔で聞いている。

「そんな感じがええんや?」

「そやね。やけども細かいところは気にした方がええで。シャツはちゃんとシワを伸ばしとくとか、キャンバススニーカーなら汚れてないとか」

「スニーカーは新品がええってこと?」

「そんなことないで。汚れたらちゃんと洗えよってこと。靴は少しぐらい履き込んだ感あるほうがええんちゃう?」

「なーほーね」

「あと、服はしっかりコロコロしときや」

「ホコリが目立ったらダサいもんな」

「目立たんでもしといたほうがええで。結構毛玉とか付いてるし」

「えらい細かいな」

「超重要やで」

「いつもそんなん気にしてん?」

 百々子は思い出すように空を見ると、5秒ほど経ってから続きを話す。

「正直、服の合わせ方なんてよう分からんけど、だらしない感じにならんようにしてる。私はダボッとしたん多いし特にね。細かいところは結構気付くもんやで。それと、綺麗にコロコロしとくとテンション上がる」

「へぇ~」

「パパに聞いたら?」

「ん? そこまでせんでもええよ。モモが言うなら大丈夫やろうし」

* * *

(あの時の話そのままやんけ!)

 百々子は景虎に楽しく話していたことを思い出して腹が立ってきた。

「おはようトラくん。いい感じだね」

「そう? ありがと。はは、なんか恥ずいね~」

 景虎は鼻の下を伸ばした。

「あんた、暑いのにその格好でやんの?」

 百々子の冷たい視線も効果がない。

「大丈夫やろ? 暑なったら着替えたらええし」

「洗いもん増えるやろ。おはようモモ、ナナちゃんも」

 鈴鹿が呆れ顔で出てきた。

「おはようございます、鈴さん」

 すぐに反応した菜々子の目に緊張感はない。

「おはよう鈴さん」

 百々子も続けてあいさつした。

「ちょっと上がりぃや」

 鈴鹿に促されてリビングに入る。ライトな木目調で統一された部屋は百々子のお気に入りの空間だ。

「二人並ぶと、似てるね」

「似てる? どこが?」

 鈴鹿の言葉に百々子と景虎が同時に応えた。見事なユニゾンだ。

「似てる似てる。はは」

 鈴鹿はそう言いながら菜々子に笑いかけると、菜々子は晴れ渡るような表情を返す。するとそこに、言わないではいられないといった勢いで景虎が口を挟む。

「モモなんて、モモにしか見えへんで」

「当たり前やろ! どんだけ力強く言ってんねん」

 猫が「シャー」するような百々子と景虎のやりとりはこなれている。菜々子はちょっと淋しそうだ。

 新聞を読んでいる龍馬(りょうま)は、そんな3人を横目に微笑んでいる。それは百々子が知っているいつもの龍馬だった。菜々子を見て少しは驚くかと思っていたので拍子抜けだ。

「おはようございます龍さん」

「おはよう、モモ」

「えっと、妹? みたいです」

 龍馬は百々子のへんてこりんな紹介に目を細めると、菜々子の方を向いた。

「はじめまして、菜々子です。よろしくお願いします」

「うん、よろしく」

 そう言って百々子と菜々子を交互に見ると、鈴鹿と同じように菜々子に笑いかける。

「もしかして、龍さんも鈴さんも菜々子のこと知ってたん?」

 百々子の言葉に、鈴鹿が飲み物を用意しながら応える。

「まあね。モモが生まれた時も知ってるし……ほらモモ、アイスティー置いてくれる?」

 鈴鹿に呼ばれて百々子はキッチンに行く。

「なんか私だけ知らんかったみたいやん」

「ごめんごめん。隠してたわけやないんやけど、うちらもどうしてええか分からんかったし」

「私も知らなかったよ」

 菜々子が後ろから声を掛けてきて、そのまま百々子と並んで手伝う。

「そうなん?」

「うん」

「ほら、これ持ってって」

 百々子は鈴鹿が用意したお菓子を菜々子に渡すと、自分も残りの飲み物を持ってテーブルに移動した。

「えっと、じゃあこうなってんのも知ってたん?」

 百々子は喉越し爽やかなアイスティーをぐっと飲み込むと、爽快さを勘違いしたようなテンションで言葉を発した。右側に座る菜々子を左手で指さしている。

「ちょっと、指ささないで」

 菜々子は右手で百々子の人差し指を包み込むように握った。

「ごめん」

 百々子は舞い上がっていた上に失礼なことをしたと気付き、恥ずかしそうに下を向いた。

「はは、モモが怒られるなんて珍しいな。もちろん知らんで。知ってんのは赤ちゃんの時だけ」

 百々子が顔を上げると鈴鹿と目が合う。

「こっちおいで、髪やったげる」

 鈴鹿は百々子の髪の毛を手際よくお団子にしていく。

「ごめんね、黙ってて」

「別にええけど……パパは詰めたる」

「ははは。ほら」

 鈴鹿は百々子に手鏡を渡した。そこには毛先がピョンと飛び出たシニヨンヘアの百々子が映っている。とても大人っぽい髪型になった自分を見て、百々子の口から「ほわわ~」と声が漏れた。

 鈴鹿は、喜びを満面に浮かべる百々子を幸せそうに眺めている。そんな二人のやりとりを羨(うらや)ましそうに見ている菜々子が目に入った。

「あなたもどう?」

「してほしいです」と菜々子は二つ返事で応じた。

「モモと同じ髪質やね」

 鈴鹿は髪の毛をとかしながら感じたことを話す。

「そうですか? それなら嬉しいです」

 百々子と菜々子は雰囲気が違うので、パッと見ではそれぞれのパーツが別物に見えてしまう。

「同じか?」

 ボソリと漏らす景虎。いつの間にか席から身を乗り出している。

「あんた、なにガン見してんの?」

 鈴鹿の引き気味の声に、景虎は恥ずかしそうに腰を下ろした。明らかにテンションが上がっていた。

「はいできた。モモ、鏡貸してくれる?」

 百々子は鈴鹿の声で夢から目覚めたようだ。そして、そこにはすっかり雰囲気の変わった菜々子がいた。

(ほわわわ~)

 大人っぽい髪型がとても似合っている。横では景虎がすっかり虜(とりこ)になってだらしない表情を晒(さら)していたが、百々子自身、そこそこ間抜けな表情をしていたことには気付いていなかった。

 菜々子は鏡を受け取って自分の姿を見る。

「ありがとうございます」

 菜々子は、満面の笑顔で鈴鹿に礼を言う。その言葉もまた鈴鹿の心を弾ませる。

「モモ、こっち来てみ」

 鈴鹿の呼び掛けで百々子と菜々子が並ぶ。

「そっくりやな」

「私ら似てんの?」

 龍馬の感想に百々子が尋ねる。

「髪型同じにしたからよく分かるで」

「え? 髪型同じなん?」

 鈴鹿の言葉に百々子は驚く。

「わっ、ほんまや」

「気付いてなかったん?」

「だって、雰囲気全然ちゃうし」

「まぁ……そやな」

 百々子と鈴鹿が友達のようなやりとりをするのを、菜々子は楽しそうに見ている。

「ナナちゃん、めっちゃ似合ってるで」

 一体なにがトリガーになったのか、景虎が入ってきて情感豊かに褒(ほ)める。まるで、匠の技によるビフォーアフターを劇的に伝えるテレビ番組のようだ。

「同じ髪型やろ?」

 百々子はカチンとなって即座に返す。

「えぇ??」

「新喜劇みたいな反応すんな!」

 景虎の反応はお笑い芸人のリアクションそのものだ。

(こいつ、どこまで本気やねん。この流れでよくもそんな新鮮な反応できるな)

 いずれにしても、今日の景虎は百々子の地雷を踏みまくる。

「モモ、スーパーでこれぐらい買ってきてくれへん?」

 鈴鹿が百々子にメモを渡すと、菜々子の方を向いた。

「ナナに……ナナって呼んでいい?」

「はい」と菜々子は淀みなく応えた。

「ナナに近所の案内したげ」

「分かった」

 その返事を合図に、百々子と菜々子は買い出しへ、男連中はバーベキューの準備へ移った。

* * *

「あんた、その服装はどうなん?」

 鈴鹿は、せっせと準備している息子に死んだ魚の目を向ける。

「あ? 問題ないやろ。モモと同じ顔すんなや」

 やるべきことはちゃんとするこの少年は、自宅の庭で場違いな服を着て、しかも汗だくという滑稽な状態になっている。菜々子がいないのだからシャツを脱いで働けば良いものを、どうやらそこに思考が届いていないようだ。

「なに、ナナにええ顔しようとしてん?」

「はぁ?」

 景虎は一瞬、心外だといわんばかりの表情をしたが、思い当たることもあるのか、すぐに考え込むように黙った。親からこんなふうにいじられたのは初めてなので、自分の反応がよく分からない。

 鈴鹿は「どうやろうね」といったメッセージを視線で送ると、自分の仕事に戻った。彼女も、景虎が初めて見せる態度に戸惑いを感じていた。息子にもいつかはこんな日が来ると、親として理解していたつもりだが、実際に経験するとふわふわとした気持ちになる。

 少し離れた場所では吉信と龍馬が炭を起こしている。そこには二人の世界ができていた。

「なんか普通に姉妹やな」

「そう見えた? オレもそう思うんやけど、龍くんもそうなら良かったわ」

「ま、そんな簡単やないやろうけど」

「そやねんな~ 今んとこうまくいってるんやけど……てか、うまくいきすぎや。モモは昔から手ぇ掛からんかったけど、逆に怖い。オレが甘えてまう」

「モモはしっかりしてるし大丈夫やと思うけど……まぁ心配やな」

「なんかさ、正直、普通の家族やないから、そこは意識してるんよ。でもな、どっかで、『オレは分かってる』ってなってへんか、問題から目をそらしてへんか、ちゃんとオレはできてるかって……」

「子育てなんて初めてのことばかりやのに、『自分はできてるぜ』って感じる」

「『オレは違うぜ』ってな……はは」

「しゃあないやろ。やけどモモは間違いない。良かったと思うで」

「そやな。ラッキーやったわ」

「ほんなら、そのラッキーを返さへんとな」

「ほんまやで。それに菜々子も」

「ちゃんとサポートしたらなあかんな」

「大丈夫やろか?」

「モモもおるしいけんちゃう?」

 男2人のそこそこ真面目な話は、自分たちが安心するために必要だったようだ。

* * *

「モモ、それ切っといて。ナナは飯盒(はんごう)で4合用意してくれる? あと、タコあるからアヒージョも。分からんかったら聞いて」

 鈴鹿が軽やかに指示を出していく。菜々子は手際が良い上、呑兵衛(のんべえ)が嬉しさで小躍(こおど)りしそうな提案もする。

「じゃがいもがあるし、ポテトチップスでもつくりましょうか? 外なら汚れないし楽ちんです」

「いいね! じゃあお願い」

 いつもと同じ雰囲気が流れていた。

 食事が始まると、大人たちは煙が届かない場所に陣取って飲み始める。子どもたちはテーブルを囲んで食事したり、火を見たり、追加の料理をしたりと、うまい具合に役割分担ができている。

「あんたマジでシャツ脱ぎぃや」

 百々子は景虎の尋常じゃない汗の量が、いよいよ不安になってきた。

「いやイケる」

 その言葉通り景虎の表情は明るい。ちょうどその時、百々子宛ての荷物が届いた。

「なにそれ?」

 戻ってきた百々子に景虎が尋ねる。

「ハッカの入浴剤。風呂に入れたらめっちゃスースーするみたい」

「へ~ よさそうやん!」

「そやろ? あんたも使ってみぃや」

「気持ちよさそうね」と菜々子も気になるようだ。

「ん? そやろ」

 この入浴剤は、百々子が古いバラエティ番組を見て興味を持ったものだ。使った人がみんな信じられないぐらい震えるので、おもしろくて仕方なかった。

 2時間ほど経った。この日は、菜々子のつくったポテトチップスが人気で、特に大人組はアルコールが進んでいるようだ。

「パパ、飲みすぎんといてや」

 百々子が追加の水を持っていくと吉信に声を掛けた。いつもよりテンションが高いことが気になる。

「お、ありがとありがと」

 鈴鹿は、百々子が子どもたちのテーブルに戻っていく後ろ姿を見ながら、吉信に注意する。

「モモが言うんやし、気ぃつけや」

 吉信が酒で失敗したことはなかったが、百々子が言うならそうなのだろう。

「そやな、注意注意」と龍馬も同意する。

 百々子は、いつもと違う吉信のテンションを気にしつつ、実は自分も変になっているのではと考えていた。

(まぁ、しゃあないか、菜々子がいてるんやし。それに、私の方が舞い上がっててそう見えてるんかも)

「パパさん酔ってんの?」

 景虎は百々子の小さな変化にも気付く。

「サプライズ続きで、ちょっとギア外れたんちゃう」

 百々子はそう言いながら、菜々子を見る。菜々子の視線の先には吉信がいるが、その感情は読み取れない。すると、見られていることに気付いた菜々子は百々子の方を向き、ニコッとして問い掛ける。

「どうしたの?」

 百々子はドキッとして下を向いた。景虎も恥ずかしそうに遠くを見ると、息継ぎの時間を挟んでから菜々子に質問する。

「お母さんと二人で暮らしてたん?」

「うん」

「どんな人やったん?」

 両親は離婚し、姉妹は出会って間もない。踏み込みにくい話のはずなのに、景虎の問い掛けは不思議なほど自然だった。

「音楽関係の仕事をしてて、おもしろい人だったよ。あと、姉さんにそっくり」

「モモに似てるんや?」

 景虎は百々子を見る。百々子は話を吟味するように、下を向いたままだ。

「そうだね、そっくり」

 菜々子もうつむく百々子を見る。

「そっくりってどんなん? 顔がってこと?」

「う~ん、雰囲気も似てるよ。性格は違うかな? でも、似てるって感じる」

「モモにそっくりならええお母さんやってんな」

 菜々子は目を見開いて景虎を見る。景虎は、菜々子の反応に気付かずポテトチップスに箸を伸ばしていた。

「トラくん、ありがとうね」

「え? オレなんか言ったっけ?」

 景虎はビックリした。なにがあったのかよく分からなかったが、菜々子の嬉しそうな表情を見て、自分も嬉しくなった。

「ダサい顔なってんで」

 百々子はそう言いながら、景虎が食べようとしていたポテトチップスを奪って口に入れた。

「おい、そっちから取れや」

「私ってママに似てんの?」

「無視かよ!」

 百々子は景虎の発言がスイッチになったのか、それまでの話を確認するように菜々子に尋ねた。

「うん、似てるよ」

 今度は菜々子が下を向いた。そして小さな声で続ける。

「すごく似てる」

「そう」

 百々子はそう言うと、吉信たちのテーブルに歩いていった。

* * *

 少し時間を遡(さかのぼ)る。珍しく百々子の真面目な突っ込みを受けた吉信は、楽しげな雰囲気こそ変わらなかったが、それまでお酒と水を1対1ぐらいの配分で飲んでいたところを1対3に変えていた。

「学校はどうすんの?」

 鈴鹿が尋ねる。

「月曜から」

「早(はや)っ。一緒の学校やろ?」

「そうそう」

「編入ってできるんやな。難しいんちゃうの?」

 龍馬は少し驚いた表情を見せた。

「いやほんまに。勉強できるみたいで」

「へぇ~」

「まぁ良かったやん。近いし、あの子らもおるし、他の生徒もええ感じやから」

「そこは安心してる」

 そう言うと吉信は子どもたちの方に視線を向ける。

「そういや昔……」

 鈴鹿は吉信を見て言葉を止める。子どもたち……じゃなく、百々子を見ていたから。

「ん? 昔なに?」

 吉信が鈴鹿の方に体を向けると、哀愁を帯びた鈴鹿が目に入った。

「咲耶(さくや)にそっくりやな」

 龍馬はピクッと反応した。咲耶は百々子と菜々子の母で、自分たち夫婦にとっても友人だった。鈴鹿の発言は、この3人がこれまで何度も感じたことで、そして口に出さなかったことだ。

「やっぱそう見える? 似てるよな~」

 吉信の声は落ち着いている。

「ちょっとちょっと、そんなスムーズに応えんといて」

「なにが?」

「うち、まあまあぶっ込んだで」

「あぁ……まぁ、話題に出せへんかったしな。でも、しゃあないやろ?」

「そ、そやな。うちもなにを言いたかったんやろか?」

 鈴鹿の言葉は尻すぼみで最後は独り言のようだった。

「でも、ええ機会やわ。菜々子も来たし、これから話にも出るやろ」

「そう? やな。ま、スッキリしたわ。あんたもやろ?」と龍馬に振る。

「ん? まぁ」というと、5秒ほど黙った後に続ける。

「似てるっちゃ似てるけど……いや、やっぱ似てへんで。見た目は、まぁそやけど。モモはもっとクールというか……咲(さく)ちゃんは情熱的な感じやった」

「そこまで踏み込んでないで」と鈴鹿が優しく笑いながらつっこむ。

「でも言(ゆ)ってることは分かるわ」

「モモは美人や」

 龍馬はどうしても言っておきたかったのか、少しズレた話を誰にともなくつぶやいた。

「モモは……」

 吉信はまた百々子を見る。

「めっちゃ頭が良くて、一緒に仕事をして、ビジネスパートナーっぽくて……」

 百々子から目を離さず続ける。

「自分の時間も大切にしとったし、友達にも恵まれてるし、トラもおるし……手の掛からん子やったから、逆に不安になる」

 鈴鹿と龍馬は自分たちの考えをそのまま聞いているかのように腹落ちしていた。

「やけどな、いつからかたまに咲耶に見えることがあって、それはほんまきつかった」

 吉信は百々子から視線を外すと、夫婦に苦笑した。

「龍くんの言うとおり、性格はまったく違うけどな」

「おまえにそっくりやで」

 龍馬の言葉に吉信はぽかんとする。

「なにが?」

「モモの性格」

「……マジか?」

「パパ」

 3人は百々子が近づいてきていたことに気付かなかった。驚いて一斉(いっせい)に百々子を見る。

「ママってどんな人やったん。なんか私に似てるって?」

「ん? あぁ、似てんで」

 吉信のリズムはずれている。

「気にせんでええよ。黙ってるほうがやりにくい」

「似てる似てる。見た目はそっくりや」

 打って変わって弾むような口調だ。

「似てるでモモ。性格は全然ちゃうけど」と龍馬が百々子に笑いかける。

「菜々子も同じこと言ってた。どんな感じなん?」

「え? どんな感じ? ブッ込みすぎやろ」

 吉信の目が泳ぐ。

「嫌やないん?」

 百々子の真剣な目が緊張感を高めていく。

「嫌なわけないやろ。まぁ、たまにドキッとするけどな、ハハハ」

 吉信は軽い雰囲気で逃げようとしたが、全く効果がなかった。

「それって……私のことがママみたいに……女として見えたってこと?」

「は? なに言(ゆ)ってんねん。娘やのにそんな目で見るわけないやろ。おまえやべぇ奴か」

 吉信はこれまでの流れをぶった切る反応をした。そのいきなりの冷めた表情は、「スンッ」という効果音が文字として見えるようだ。

「はっはっは~ やべぇ奴。はっはー」

 聞いていた景虎が大爆笑する。百々子は自分の発言が恥ずかしくなり、「ボンッ」と一瞬で顔が真っ赤になった。

「ははは。また今度ゆっくり話そやモモ」

 吉信はそう言うと百々子の右肩をぽんぽんと叩いた。そして話を打ち切るようにハイボールをつくる。

「へっへっはっはー モモめっちゃウケるわ」

 景虎は大声で笑い続けている。その笑い声が百々子に冷静さを取り戻させ、同時に復讐の炎をたぎらせる。

(笑いすぎやろアイツ~ ふざけやがって。そりゃ確かに変やったわ。やけどもなんやねん。絶対許さへん。そや、あれくらわしたろ)

 百々子の気持ちが切り替わった。

「あんたさぁ、笑い過ぎや」

「は? いや笑うやろ。おもろすぎや」

「ムカつく」

 ムッとした表情ののち、なにかに気付いたような表情を浮かべてみせる。

「そや、あんためっちゃ汗かいてるやろ。ハッカ風呂試してみぃひん?」

「ん? さっき届いたやつ?」

「そうそう。臭すぎるあんたにはちょうどええやろ?」

「え? オレ臭い?」

 そう言って菜々子をちらっと見る。

「別に」

「なんやねんおまえ!」

 百々子は、「汗臭いかも」という認識を持たせたことに満足した。せいぜい気にするといい。

「せっかくやし試そうや」

「そやな、興味あるわ」

* * *

「びっくりしたな」

 鈴鹿は、百々子と景虎が言い合い出したタイミングで口にした。

「あんな顔するんやな」と龍馬も頷(うなず)いている。

「はぁ、トラに救われたわ」

 3人はしばらく黙って子どもたちを見ている。

「あ、モモなんか考えてるな」

 鈴鹿がなにかに気付く。

「うわぁ、オレもなんかくらいそう」

 困ったような吉信の声は、言葉とは裏腹に明るかった。

* * *

 百々子は風呂が沸いたお知らせを聞くと、ハッカ風呂の準備に取り掛かった。

(どれぐらいがええかな? ちょっといかつめに。こんぐらい? こんぐらいかな?)

 入浴剤を使用量も確認せずに入れていくと、浴室の変化に驚く。

(ん? なにこれ? 目がスウスウする? 湯気がハッカなってる?)

 そんなことを考えながらも、オラッとばかりに残りを全部ぶちまけた。湯を手で混ぜると途端に腕がひんやりして気持ちが良い。

(ま、大丈夫やろ)

 百々子はすぐにでも景虎を入れたくなった。

「風呂沸いたで。めっちゃスウスウしていい感じ」

「オレ一番でいいんか?」

 そう言いながらキッチンで洗い物をしている菜々子を見る。

「なに? 気にしてんの?」

「気にするに決まってるやろ」

「ほんなら、菜々子には入れ直していいよって言っとくわ」

「ん、そ、そやな」

「なんやねん。それも嫌なんかい」

「ちゃうちゃう、でも、ん……」

「はよ入れ」

 百々子はめんどくさい景虎を蹴飛ばすように部屋から追い出した。

「菜々子、トラが出たらあんたも入りや」

 菜々子の横に並ぶと、洗い物を手伝う。

「ん? 分かった」

「ああそや、入れ直してもええよ」

「どうして?」

「え? いや、トラのあとやし。なんかあいつも気にしてたし」

「そうなの? 別にいいよ」

 菜々子のなにも気にしていない反応に心が軽くなる。カチャカチャ、パタパタと、今までと違う生活音が心地良い。

「それじゃ着替え取ってくるね」

 菜々子はそう言うとリビングから出ていった。

 少しするとドタドタと荒々しい足音が聞こえてきた。

「おまえあれなんやねん」

 景虎が漫画みたいに震えている。

「なんか着るもん貸して」

 切羽詰(せっぱつ)まった景虎の姿に度肝を抜かれた百々子は、急いで吉信の服を取りに行った。その服にくるまって震える景虎を見ていると、元凶のくせに怖くなってきた。

「先に入るね~」

「分かった~」

 百々子は目の前の景虎にしか関心がなかったので、扉の向こうから聞こえた菜々子の声に反射で応えてしまった。

 しばらくすると景虎が聞き取れないぐらいの小さな声を漏らした。

「帰るわ」

 少し落ち着いてきたのだろう。ただ、その声と同様、テンションは下がりまくっている。

「うん、分かった」

 この世の不幸を全部背負ったような負のオーラをまとって景虎が帰っていく。百々子は珍しく外まで見送ると、家に入るのを見届けてから戻った。

(うわぁ、ちょっと怖かった。ハッカのせいやんな? そんなすごいん?)

 百々子は興奮を抑えるように、アイスココアを入れてソファに座った。するとまたもドタドタと荒々しい足音が近づいてきた。

(あっ!)

 気付いたときには遅い。菜々子もハッカ風呂に入ったのだ。

 今しがた見た光景が繰り広げられる。しばらくタオルに包まって震えていた菜々子は、百々子の顔を見るとハッと気付いた。

「ふざけないでよ」

 そう言うと、急いで自分の部屋に帰っていった。

 百々子は申し訳なさと不安で、なにかできないかとあたふたする。せめて温かいものをと、ホットココアをつくり、菜々子の部屋に向かった。

「菜々子、いい?」

「いいよ」

 部屋に入ると、菜々子はベッドで丸くなって震えている。百々子はココアを机に置くと菜々子の左横に腰掛けた。

「ごめん。トラに気を取られて、止めんの忘れてた」

「やりすぎ。トラくんも大変やったやろ?」

「うん。ごめん」

「もういいよ。私もハッカ風呂の話聞いてたから、こんなものかと思ったし」

 菜々子の髪の毛は濡れたままでボサボサだ。丸まっているので、その髪の毛が顔に掛かっている。ちらちら見える凹(へこ)んだ表情が、夏のお化けにピッタリの雰囲気だ。

「……フフ、フフフ」

 百々子はおもしろくなってきた。

「……最低」

 確かにそのとおりだ。笑いを堪(こら)えようとピクピク震えているだけならまだしも、声が漏れている。

「フフフ、フフフ。ごめん、フフフフ……」

 菜々子は、ふざけた姉が落ち着くまで冷めた目で見ていた。ベッドが小刻みに動くのが腹立たしい。

「髪の毛濡れたままやで。ちょっと待ってて」

 百々子は部屋を出ると、ドライヤーを持って戻ってきた。

 震える菜々子に布団を巻き付け、髪の毛を乾かしてあげた。コロコロで落ちた髪の毛を取っていると、菜々子が話し始める。

「心臓まで冷えるみたいで怖かった」

「そんなになんや?」

「あなたも入りなよ」

「え? やめとくわ」

「ふざけるな!」

「ココア飲みぃや」

「熱いよ」

「ちょうど良くないん?」

「そういうのと違う。でももらう。熱(あつ)っ」

 菜々子は丸まったままチビチビと飲んでいる。百々子はその横顔を見ると、菜々子も自分と同じ女の子なのだと実感した。

 すると、リビングの方から三度目の荒々しい足音が響いた。どうやら吉信まで入ったらしい。二人は顔を見合わせると吹き出した。

* * *

(そんなすごいんかな?)

 百々子は脱衣所でいつもと違う冷(ひや)っこさを感じながらドキドキしている。よせばいいのに、好奇心に駆られてハッカ風呂に入ろうとしているのだ。

(最後やし、先に浸かろかな。冷えてきても体洗ったら大丈夫やろ)

 さっとシャワーで体を流すと、最後の特権とばかりそのまま湯船に浸かる。

(おぉ~ すごいな~ 涼しい~)

 もちろんそんな感想は束の間だ。凄まじい勢いで全身に悪寒が走る。

(ヤバいヤバい)

 百々子は湯船から出るとすぐに頭を洗い出す。こんな状況でも、いつものルーチンで頭から洗い始めたが、途中から震えが止まらなくなってきた。

(私、大丈夫なん? 怖い)

 もはや寒いという感覚ではない。震えが止まらないし、肺に入った空気のせいで体の中も凍っていくようだ。

 耐えられなくなって、急いでシャンプーを流すと、体も洗わず浴室を出る。恐怖で慌てているからか、何度も滑りそうになり、そのたびに壁へ手をつく。その姿を見ている者がいれば、腹を抱えて笑っただろう。

 リビングまで逃げてきたが震えは止まらない。しかも寒いのに汗が出てくる。どうやら、実際に体が冷やされているのではないのだろう。感覚がバグっているのだ。

(パパ、菜々子~)

 タオルにくるまって、一人でブルブルしていると、異様な寂しさに襲われて心の中で叫ぶ。どうしてこんな怖い思いをしなければならないのか。

 自爆をした自分勝手な被害者の姿はまさにコントだった。

 その後、しばらくして感覚は落ち着いてきたが、テンションは全く戻らない。

(体洗わな……)

 暗い気持ちで風呂に戻ると、体を洗い、風呂の掃除をした。

(私なにやってんやろ)


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